歴代住職の御霊塔
海部川流域を海まで見渡す城満寺境内の丘「聖山(ひじりやま)」の上に、城満寺歴代住職の墓所があります。この墓所は、昭和49年の御開山・瑩山禅師(常済大師)の650回大遠忌を記念して、前年の昭和48年に整備されました。城満寺は、曹洞宗の大本山總持寺と同じ瑩山禅師を御開山としていますが、その大本山總持寺祖院から瑩山禅師の御霊骨を将来し、当時の大本山總持寺貫首・絶海勝俊禅師に御揮毫を頂戴して墓塔を建立しました。塔の脇には、能書家として知られた新居浜市瑞応寺の当時の住職、後に大本山永平寺副貫首となる大玄一光老師によって記された由来記「傳光(でんこう)」があり、絶海勝俊禅師に直接おいでいただいて挙行された墓塔点眼法要の様子が伝えられています。
瑩山禅師の墓塔の横には、城満寺二世・本行玄宗禅師、三世・月海頼應大和尚、四世・月山哲哉大和尚の墓塔が並び、城満寺境内を望んで仏法の興隆と法灯の継承を見守っています。
城満寺 略史
1291年(正応4年)
瑩山紹瑾禅師、海部郡司の招きにより城満寺を開山
1295年(永仁3年)
瑩山紹瑾禅師、加賀大乗寺の首座となる
【以後の歴史は不詳…調査にご協力ください(下記参照)】
(1575年(天正3年)の長宗我部元親軍進攻時に焼失とも)
1925年(大正14年)
戸田吾雄老師、瑩山禅師六〇〇回大遠忌に合わせ、
城満寺の小堂宇を復興(現「衆寮」)
1946年(昭和21年)
渡邊頼應老師、城満寺に入寺
1952年(昭和27年)
城満寺が寺院として正式に登録、
渡邊頼應老師が城満寺住職に就任
1958年(昭和33年)
渡邊頼應老師、能登芳春院に転住
1969年(昭和44年)
大槻哲哉老師、城満寺住職に就任
1973年(昭和48年)
瑩山禅師六五〇回大遠忌に合わせ、瑩山禅師の
御霊骨を将来、御霊塔を建立
1987年(昭和62年)
本尊の釈迦三尊像が開眼
1992年(平成4年)
大本山總持寺跳龍室より山門を移築
以後、平成9年に本堂建立、平成19年に僧堂建立
2011年(平成23年)
現住職が城満寺住職に就任
以後、平成25年に庫院、平成28年に行生庵と東司、平成29年に東堂寮が完成
2018年(平成30年)
大槻哲哉老師、城満寺にて遷化
2024年(令和6年)
瑩山禅師七〇〇回大遠忌となります